プロパンガスの歴史

そもそもプロパンガスって?

LPガス(液化石油ガス)のうち、プロパンが主成分の物はプロパンガスをプロパンガスと言います。

スプレーなどで使われるのはLPガスでもブタンを主成分とした「ブタンガス」です。

(詳しくはLPガス(プロパンガス)ってどんなもの?をご参照ください)

日本におけるプロパンガスの歴史

飛行船ツェッペリン号が来日時に使われたのが国内最初

LZ127:グラーフ・ツェッペリン
LZ127:グラーフ・ツェッペリン

1929年 飛行船「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」(通称「ツェッペリン伯号」)が霞ヶ浦飛行場に着陸した時に、機体の総重量を軽くするため、重い液体燃料ではなく「ブラウガス(オレフィン系炭化水素、パラフィン系炭化水素及び水素を主成分とするガス)」というガス体燃料が使われました。

 

これがプロパンガスだったことがのちに判明します。

プロパンガスを自動車用燃料として使用することが認められる

1938年、欧米の禁輸措置によって、ガソリンが不足した日本では、プロパンガスやメタンガスを自動車用燃料として使用するLPG車が登場しました。尚、1941年時点の生産台数は約600台だったそうです。

1950年代 プロパンガスが家庭で使用されるようになる

1953年ごろから、プロパンガス(LPガス)が家庭で使用されるようになりました。

それまでの薪炭に比べると、手軽に使えてカロリーが高く、瞬く間に日本全国に普及していきました。

 

1955年 丸善石油、大協石油がLPガス(プロパン)生産開始

当時のプロパンガスは、石油製品を精製した際の副産物でした。つまり最初からプロパンを石油から生成する目的ではなく、他の石油製品を作ったついでに派生したものを家庭用エネルギーとして使っていたのです。

ですからプロパンの生産量は、製油所の生産計画に左右され、供給が不安定でした。

1960年代 プロパンガスの本格的輸入が始まる

豪鷲丸

1961年にゼネラル瓦斯「豪鷲丸」が川崎に帰港し、LPガス輸入の第一号となりました。

その後各社とも続々と輸入を開始しましたので、これにより供給量は増加していきました。

1973年 ガスメーター設置が義務付けられる

ガスメーター
ガスメーター

1973年より、ガスメーターのガスメーターの設置が義務付けられました。

ガス漏れなどにより、ガスが異常に消費されるとガス会社がメーターの数字でチェックできるようになったのです。

これにより消費者の事故件数がピーク時の1/10以下に減少し、プロパンガスをより安全に使えるようになりました。

1995年 阪神淡路大震災でプロパンガスが活躍

阪神淡路大震災の仮設住宅
阪神淡路大震災の仮設住宅

1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生し、一時は停電約260 万戸、都市ガス供給停止約86 万戸、水道の断水約129 万戸、電話不通は30 万回線を超える未曽有の災害となりました

 

都市ガスの復旧が長引く中、プロパンガスは震災から約2 週間後の1 月末には安全点検を完了し、いち早く復旧をしました。また被災者のための仮設住宅にはLPガス設備が設置され、被災者の命綱となりました。

 

これ以降も災害時にはプロパンガスが常に活躍し、また災害に強いことが証明されたため、公民館などの避難施設をプロパンガス使用にする自治体が続出しました。

2003年 石油製品からガス体エネルギーに位置づけられる

資源エネルギー庁会議

2003年10月にエネルギー 基本計画が策定され、これまで石油製品の一部として扱われてきたプロパンガス(LPガス)は、「天然ガスとともにガス体エネルギーとして一体的にとらえる」と明記され、ガス体エネルギーとしての明確な位置付けを獲得しました。

これによりプロパンガスは国の機関エネルギーとして、国民生活、産業基盤を支えるエネルギーとして大きな役割、責任を果たすものと位置付けれられました。